羅生門

制作にあたって
寺内タケシ−−彼は、音楽のすべての分野に挑戦してきた男である。全世界のあらゆる音楽の探求に、この25年間を打ち込んできたのだ。数多くのギタリストがなしえなかったもの、日本人である寺内タケシが完成させた "日本人の心の音楽" を、このアルバムによって現代音楽の新しい分野につけ加えてもらいたい。
 外国人が日本人の心を知るということは非常に困難だと言われている。たしかに、他国人の心を知ろうとするのは難しいことである。東洋における日本人の意識の多種多様な精神構造は、日本人さえも理解しがたいものを持っているのだ。
 この、"日本人の心" を少しでも外国人に理解してもらいたい。単なる "東洋の神秘" という言葉で片づけてしまわないで、そこに流れる、"何ものか" を汲みとってほしいのだ。その "何ものか" が、すべべての日本人の心に流れているものであるからだ。
 音楽家の寺内タケシは、彼のギターによって "それ" を表現し、邦楽という日本だけの分野から、世界に向けて広げていこうとしているのだ。その意味でいえば、このレコードは、"チャレンジ・アルバム" と言えるだろう。
 古典伝承芸能というものは、常に流動しているものである。古いままの形式や形態は、そのまま残らないのが原則であるように邦楽も様々に流動している。また、"ワビ" "サビ" "イキ" などといった日本人しか分からない表現方法がある。このアルバムでは、西洋楽器であるギターによって、これらの表現方法を現代音楽でアレンジをするという苦心が払われている。
 つまり、(日本音階)と(間)を、譜面上にいかに再現していくかという作業の困難さである。
 幸いにして彼の母親は邦楽の専門家であり良き助言者であることから、このアルバムの完成を早めたのである。
 無数にある邦楽の中から、厳選されたこれらの曲は、多くの人々の心に強い余韻を残さずにはいられないだろう。その上、彼のオリジナルである "羅生門" "楢山節考" は、現代音楽としても作曲・構成に素晴らしい才能を発揮している。
寺内タケシの歴史
 1939年、東京から東北へ100マイル(60キロ)離れた茨城県土浦市に生まれた。5歳の時、北海道のコンサートに飛び入りでギター演奏をして大人達を驚かせた。父親が電気器具店を経営していることから、何とか自分の演奏をマイクで拡大したいと機械いじりに専念した。ウエスタン音楽の熱にとりつかれた、寺内タケシは仲間とバンドを結成。各地のベース・キャンプを巡り演奏活動をはじめた。そのころ、米兵から100ドルでエレキ・ギターを買い、ついにその熱は項点に達した。その後プロとしてウエスタン・バンド "マウンテン・プレイボーイズ" のリード・ギターとして活躍。マール・トラビス、チェット・アトキンスの奏法はもとより、当時日本では珍しい5弦バンジョー(スリー・フィンガースタイル)奏法をマスターし、ウエスタン・ブームの旗頭として業績を残した。  ウエスタンからロックヘ時代が変わる時も、一早くエレキ・ギターを中心としたグループを編成、その変わり身の速さにファンを驚かせた。その上、日本で最も早く新しいリズムが上陸する横浜に、寺内音楽事務所を置き、"シェイク" "ブーガルー" など大ヒット・メーカーとして注目をあびている。  また作曲面のみならず編曲においても素晴らしい才能を持っている。エレキ・ギターとクラシックを結びつけた "レッツ・ゴー運命" は、日本で最も権威のある "日本レコード大賞編曲賞" を受賞した。  ベートーヴェンを生んだドイツからは、彼に多くの激励文が舞いこんだ位である。
 世界中のほとんどの曲をレパートリーとし、レコーディングした曲だけでも三千曲を越えている。ギター、ベース、ピアノ、ドラム、バンジョー、バイブから日本の楽器の三味線、琴、笛、太鼓などをマスターしている驚く才能を持っている男それが寺内タケシである。
 ステージ、ラジオ、テレビ、映画で音楽家としてではなく、コミカルなエンタティナーとしても好評で、多彩な面を持ちあわせた人物である。

曲目解説
1. 羅生門
 アカデミー外国映画賞やヴェニス映画祭に輝く「羅生門」(主演・三船敏郎)を題材に寺内タケシがオリジナルを作りあげた。平安朝時代を背景に描く芥川龍之介の異色作品。物語は、旅する侍が殺されたところからはじまる。その事件からあがった四人の証言は、それぞれくいちがっていた。真実というものを追究、探求する。
 非常に難しいテーマを自由な音の感覚が捉えていく。追ってくるサスペンスを盛りこんで、限りない音の世界が展開する。
2. 千鳥
 歌舞伎などで海辺の立廻りのシーンによく使われる曲。千鳥の舞う様を象徴的に描いた作品。(これは下座音楽といわれている) 初期の日本映画では武土の闘う場面で使用され広まった。オールド・ファンには懐かしい曲だが、若い感覚でロック調にアレンジされている。
3. 明鳥(唐人お吉の唄)
 明鳥とは唐人お吉の別称。下田港の芸者お吉を描いた抒情編。愛人鶴松と無理に縁を切らされハリスに仕えた "お吉" は、いたたまれず各地を転々とし流浪の生活を送る。しかし、故郷に帰ってきたが酒びたりでついには身を減ぼしてしまう・・・という物語。1958年にはこれを描いた「黒船」(THE BARBARIAN AND THE GEISHA)20世紀フォックスでご存知の方もおられるだろう。女の捨てばちな哀しさを切々とうたう秀作である。
4. 松の緑
 安政年間杵屋六翁の娘が杵屋六を名のった時の祝賀曲で、遊女の姿をうたったもの。松風の風韻をきかせた前弾きを見事にアレンジした作品。
5. たけす
 曲芸や手品などの見世物の背景に流れる曲で、幕あきや出入りの時に使う。(下座音楽一竹簀の合方といわれている)現在でも地方の旅回りや落語のバックでよく使われている。見世物を盛り上げるにふさわしいにぎやかで壊かしい曲である。寺内タケシは、これで "日本人の心" の歌という。楽しい祭りのにぎやかさと祭りの後のワビしさの二つの顔を持った曲。郷愁をそそる旋律と胸ときめくリズムがからみあい盛りあげていく。
6. 滝の白糸
 頃は明治、文明開化の当時が背景。馬丁から検事代理までに出世した男に仕送りをしていた女水芸師 "滝の白糸" の悲しい物語。劇中では華やかな水芸の場画にこの曲が挿人されている。現在でも水芸師はこの曲をバックに美しい本芸を披露している。
1. 楢山節考
 その昔、貧しいあまりの悲しい習慣があった。年老いて働くことの出来ない老人を奥深い楢山に運びおいてきたのだ。少しでも食物を確保しようとした古人の最後の手段だった。老人は、死期を待つのみ、こんな惨酷な、そしてこんな悲しい習慣があったとは我々現代人には想像も出来ないことだ。寺内タケシは、これほど悲しいテーマを見事に描きだしている。霧にかすむ暗い山陰、不気味な鳥の群、死期を待つ老人の眼・・・そんな風景を浮かびあがらせている。
2. 壇之浦
 1185年平家は源氏と壇の浦で戦った、これは源平最後の戦いとなった。平京はここで苦しい戦いの後に、ついに敗れた。この曲を聞いていると、そうした戦いにおける兵土の勇壮な姿が浮かんでくることだろう。さまざまな方法を駆使して寺内タケシは、源平合戦のようすを再現することに成功した。なおこのようにスリリングな曲は彼の作品としては、余り数をみない。
3. 奴さん
 江戸時代に男子の下級奉公人のことを "奴さん" と呼んだ。主人のお供や身の廻りの世話をするのが主な仕事。しかし "奴さん" は当時の風俗に詩情を添え、親しみをいだかせる存在であった。この曲は、日本では "酒宴" で騒ぎ歌としてよく歌われている。寺内タケシは、イキな "奴さん" を見事描き出し、楽しさと江戸情緒を盛りこんでいる。内容は、「奴さん、主人のお供でどこまでいくのですか!お供は大変ですね!」という他愛のないもの。この時代は割にこの様な内容が多いが、"イキな調子" でピリッとした作品が残っている中の一つが "奴さん" である。
4. 深川
 文政時代、深川の遊里全盛の頃に作られ流行した曲。情人を待つ女の気持ちを描く異色作品である。
5. 浜町河岸
 花井お梅の峯吉殺しの心中を語りながら、あわれな中にも江戸情緒をたっぷり盛りこんだ作品。

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