禅 定

 エレキ・ギターを25年間弾き続けたという事は、よく考えてみると人生の半分をそれについやしたという事になる。エレキ・ギターがエレキなるが故に、この先も「限界というものを知らない楽器なのだから始末にこまる。音的にも、技術的にも、ちょっと今では考えられない事がきっと5年先、10年先には起ってくるだろう。そういった「限界のないものを弾いているのが人間であり、この私なのだが、人間の限界、すなわち私自身の限界というものを考えてみたくなる時がある。これを考え始めた時、結果的に見ればこの“禅定”のLPの制作が始まっていた。人間の限界への挑戦!人間の限界はどこにあるんだろうという事を考えた時、古くからどんな修業があったんだろうと、まず考えてみました。やはり宗教的な方で“断食”あるいは“座禅”を組んだりという事になります。「よし、やってやろう!」「何事も自分で経験してみよう!」といういつもの気持から、また25周年のひとつの契機としても、無駄にはならないだろうという事に結論を到達させ、1971年9月1日から、ほんの5日間ではありましたが、ブルー・ジーンズのメンバー共々宮城県松島にある瑞厳寺、この瑞厳僧堂に入って、禅の修業をした訳である。
 人間の限界への挑戦!という事になると最終的には体力への限界という事も、もち論だけれど、体力を超越した精神力ということになって来る。“精神力”これはどんなものだろうかというと、これは“やる気”だけという単純な結論に到達する。
 我々がよく経験する事なのだが、さあこれからステージだという時、全員タキシードに着がえ、ベルが鳴り、メンバー全員緞帳のおりたままのステージに立ち、「皆用意はいいか」という声に「OK!よろしくお願いします」といういつもの声を聞き、本ベルが鳴り、いよいよ緞帳があがる。そしてスポットの中にいる自分を見つけた時、感じる孤独感、そしてその孤独な自分と、お客様方との暗黙な対決を意識している。これは神経の戦いである。各メンバーも全く同じ事を感じると思うが、全神経を集中して、何十人いるか解からない客席との戦いを感じる。ともすると負けてしまいそうな感じに落込む。自分自身の精神が集中していない、弱くなっている、等々色々な精神面の弱体化が、ステージでは非常に左右するのである。精神力が充実しており、またその極限でギターを弾けたらと常々感じている私にとって、今回、短い期間ではあったけれど参弾出来た事は、色々な事を考え、通常では想像もつかない所まで思考が飛びまわり、その事が自分でもおどろく程であった。今は人間の神経の複雑さ、強さ、弱さを感じた事を素直に喜こんでいる。
 このアルバムのタイトルになっている「禅定」について説明すると、全ての仏教の源になる、お釈迦様が6年間、菩提樹の下で座禅を組んだ訳だが、その長い長い座禅を通して色々な事を会得し、ついに12月8日の明けの項、あとで曲のタイトルにもなっている、「12月8日の明星」をみながら悟りをひらいた、その座禅を称して「禅定」という訳である。

曲目解説
〈禅定〉
 これは、前に書いた通り、お釈迦様が悟りをひらいた6年間の座禅のことであるが、ここで一口でいってみれば、私達なりに「雨にも負けず、風にも負けずも雪にもまけず」という人間の精神力の限界とはどんなものであろうか、言いかえれば、風雪に耐え、座り続けるということ、ちょっと考えると無意味な事かも知れないが、しかしこれをやり終えた時、(私達の場合は1時間〜2時間で5日間という短かい間でしたが) これが何ヶ月一何年と続いた場合、大変大きなものを得る事であろうと想像出来る域には達したと思う訳である。こうして座って色々な事を考え、考えている座禅の状態、お釈迦様が6年間、悟りをひらくまで座りつづけた座禅、即ち禅定を私なりに作曲した訳である。
〈無〉
座禅をしている、するとだんだん足がしびれてくる、次に足が冷たくなり、そして感じなくなってゆく、そしていろいろ考えた末、考える事が無くなってゆく訳であるが、最初は色々な妄想やら、自分の身辺の事柄がとめどもなく頭に浮んでは消え、また浮んでは消える分けである。ギター弾いている事、アレンジの事、浮んで来るのは案外“音”の事が多い。それが消えると、自分が生まれて今日までの事が頭に浮んで来る、延々と座っていると、考える種がつきてくる。その中で座を組み、目は半眼に開いて苦しさを耐えてやっている。そして最後にはその苦しさも、時間がたつのもわすれた状態になってゆく、何も考えない状態になってゆく、これが無、いわゆる無我の境というものなのです。
 この無に関しては一大発見をし事がある。その無我の境に入った状態と、ギターを弾いている状態が、特にステージ上で乗って弾いている状態の“心”が非常に似ているという事を発見した。なる程こういうものなのか、これが禅の道であるならば、ギターの道も全く同じではないかという事で、ギターだけに限らず、何の道も同じだろうと思い、一番偉い老師と称するお坊さんにたずねたところ、老師いわく「禅は日常の生活の中にもある。公案の禅というものもある」とい事であった。この曲に関しては、全般、情景描写で、緊迫した禅の空気を出してみた。瑞厳憎堂で我々が実際、聴いた音、感じた空気をそのままスタジオに再現し、実際にメンバー全員座禅を組み、線香をともし、この録音が行なわれた。
〈生飯〉
生飯とは、禅宗の中で三黙堂といって、3つの黙っていなければならない堂がある。まず一つは食堂 (じきどう)、これは食べる道、いわゆる食堂 (しょくどう) の事、もう一つはトイレ、厠 (かわや)、そして“禅堂”がある訳ですが、お寺でご飯を食べる時、もちろん寺では、人々の寄進によって食べている訳ですので、贅沢は出来ません。そこで精進料理 を食べます。まず、朝食、昼食の時、必ず3〜4粒のご飯を前において、合掌し、祈りをささげます。この2〜3粒のお米のことを「生飯 (さば)」という。この3粒〜4粒のお米の意味をお坊さんにたずねたところ、いわく「現在は古米、古々米等といってお米はあまっているが、昔から何十人、何万人という人が食べるお米がなくて死んでいってる、本来そうしてこの世を去っていった人々への供養の意味があるのです」との事であった。
 この話から私もいろいろ考え、社会というものも、この一椀の中のご飯の粒と同じだと思った。この一椀の中に何十粒というお米が人っている訳だが、この中の3〜4粒を、前においても別段自分の腹はいたまない。ということは、自分自身が何不自由なく満たされている訳であって、自分自身ができあがっていなければ、人へのほどこしは到低考えられない訳である。こうして考えてみるとまず自分の事から、しっかりやらなければいけないんだという教えとともに、こうして恵まれずに死んでいった人々が、どんな状態で、どんな気持で死んでいったのかを考え、一つの「民話」風にまとめたのがこの曲です。
「大変平和な農村地帯があり、収獲の季節もすぐ目の前です。しかし嵐がやって来ます。予想したより小さな被害で村人達はほっと胸をなでおろします。しかしそれも束の間、二百十日がやって来て、こんどは大変大きな嵐にまきこまれます。大雨が降り、大洪水になり、黄金色をした稲穂は見るも無残な姿をさらします。心配していた疫病が発生し、まずこの疫病で半分位の人々が死んでゆきます。何とか年は起しましたが、次の年は食べる米さえなくなってゆきます。やせた母親の胸にだかれた赤ん坊が、狂ったように泣いています。しかし、母親とてなすすべもないのです。木の根、草の葉すら食べつくしてしまっているのです。赤ん坊は泣く力さえ失って死んでゆきます。母規も何日か後に死にます。こうして全滅した村に、一人の僧侶がやって来て祈りを奉げている」こんな情景を日本民話風に仕上げたのが「生飯 (サバ)」である。
〈12月8日の明星〉
これはアルバムタイトル「禅定」の説明で記したところのお釈迦様が悟りを開いた時に見た、明けの明星の事ですが、その星がどんな星であったのか、赤く輝やいていたのか、それとも青く輝やいていたのか、星の大好きな私には大変興殊をひかれ、作った曲がこれです。
〈解定 (かいちん)〜末来への前進〉
朝五時に起床し、修業に入り、いろいろな法話、説教をきいて夜になる。夜の座禅が終わりいよいよ就寝の時間になる。全員僧堂で枕をならべて寝る。メンバー、バンドボーイ、そしてマネージャー、一日の繋張から解放され、全員無駄話をする者もなく、すぐ寝入ってしまう。しばらくすると、真暗な中からいくつかの寝息が聞えて来る。“眠る事は明日の為に、明日があるから、未来があるから眠るんだな!”とこの時気がついた。眠る事の中に、メンバー他、これから眠ろうとしている私も全員、明日の活力未来への前進を見出すことが出来るし、メンバーひとりひとりの前進とともに 一グループとしての前進も夜をかさねるたびに、本当の意味で前進せねばならないと思ったわけである。解定とは禅宗でいう“消燈”〜いまから眠れ、電気を消しますよ〜という意味の言葉である。
追記
 このLPを制作にあたって、宮城県が後援をしてくれたという大変うれしい話があります。そして松島町、瑞厳寺、そして私達の宮城県ファンクラブの皆様のあたたかい応援がありました。朝早く起きて、全員でマラソンをする事が日課になっていましたが、日本三景のひとつである松島の美しい景色を見ながら、全員、トレーニング・パンツで「オイッチ、ニ、オイッチ、ニ!」と走ります。私はもちるん自転車で、竹刀をもって走ってます。朝5時項ですが松島の町の人々が「おはよう!、皆んな、頑張れよ!」と声をかけてくれました。観光客も「そうか寺内が、きっと何かやってんだろう、頑張れよ!」と誰からともなく声がかかり、大変うれしかった事、大変暖かい空気の中で修業、研究が出来た事を感謝しています。私ひとつの力でこのLPが出来たのではない。こうして協力してくれた皆様にも本当に感謝の気特をこの紙上をかりて御礼申し上げます。
 そして、瑞厳寺住織・加藤隆芳老師、大仰寺副住織、稲富耕雲寺和尚、安彦徹宗禅士の厳しくて、また暖かい御指導を我々は一生忘れられない思い出として心に残しておく事でしょう。寺内タケシ

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